ゴッホがWebデザイナーだったら、たぶん1サイトでさえ世に送り出すことができなかっただろうという話。
Webデザインに限ったこではないけれども、商業デザインにはクライアントというものがいる。
クライアントとはデザインをデザイナーに発注する会社であり、多くの場合、その会社の担当者のことを言う。
どんなに優れたデザインをデザイナーが提出しても、クライアントがOKをださなければお金は支払われない。
つまり、そのWebサイトは「お蔵入り」である。
しかし、クライアントが必ずしもデザインセンスやWebサイト制作の心得があるのかといえば、そうではない。
いや、多くの場合、クライアントはまったくのど素人である。(だから発注するわけだし。)
そのど素人がデザイナーの作ったデザインの「良さ」や「意図」をわかるかといえば、そうではないのは明白である。
ゴッホの絵は作者の生きているうちには評価されなかった。
Webデザイナーに置き換えると、評価できるクライアントがいなかった。ということになる。
=廃業。
ではゴッホがWebデザイナーになるにはどうしたら良いか。
偉大な人物にずいぶんな物言いではあるが。
①クライアントのデザインセンスに合わせてデザインをする。
②なぜこのようなデザインが良いか、デザインの「意図」は何かをクライアントに説明する。
③政治的な力をつかう。
①はようするに、駄作を作るということ。
せっかくの良いデザインもレイアウトも台無しにするのにゴッホは耐えられるのか。
②は自分のデザインのどこが良いかを人にひたすら説明するという愚行。
説明すればするほど納得してもらえない場合が多い。
そもそも、説明して分かってくれる相手ならデザインに文句は言わないだろうから。
③は一番効果的。デザインも他の仕事も国の政治も。鶴の一声を制するものはデザインを制す。といっても過言ではない。
ということできっとゴッホはWebデザイナーにはなれなかったというお話。
無論、本人がなりたいかどうかなど全く別だし、ならなくてもいいほど偉大な人物といって差し支えない。
ただ、現代の商業デザインに携わる人、とりわけ軽くみられやすいWebデザイナーの中には
素晴らしい才能をもった「悩めるゴッホ」がいるのではないか。
そして大成せずに消えていってはいまいか。
僕が今の会社に入るときに面接で社長に一つだけ念押しされたことがあった。
「私たちが求めているのはお客様の言うとおりにものが作れる人ですが、それができますか?」
この質問に二つ返事でハイと言ったが、それが未だに足枷となって僕のデザインを消極的にさせている。