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他人からの評価

他人の評価というのは面白いというお話。

私がフリーランスのWebデザイナーとして働きはじめてから1年がたとうとしているが、
友人からは、よく仕事はどんなことをしているのかと聞かれる。
っていうか「この人は仕事をしていない」と思われている。
そしてそんな友人達と出会う度に、私がどれだけの時間、どんな仕事をしているのかを説明することになる。
私はもともと広告代理店で働いていたが、妻が出産を終えて仕事を再開しだしたこと
でもまだ双子の子供達が手がかかるので世話が大変なこと等を考えて、フリーランスになった。
実際に妻のシフトの関係で1日中子供の世話をしていることも少なくない。
そんなときは仕事をしていないのではなく子供達が寝静まったことから徹夜の仕事を始めるだけだ。
そして、フリーランスでの収入は有難いことに、サラリーマンの時のそれとは大差なく
もちろん家に収入のほとんどを入れている。
その話を聞いた友人の結論はこうだ。
あぁ、要するに主夫ね。
・・・・主に家事労働や子育てをしている主婦の夫版である。
家事と育児をしている以外は世に言うサラリーマン(友人達)と大差ないんですがね。
毎回こうなので、もう始めら主夫って言っといた方がめんどくさくなくていいのかな。
彼らの評価が僕の説明とかけ離れるのはどうしてか。
たぶん、彼らは僕のこと(この場合職業)を客観的に評価したいのではない。
「この人はこうである。」ということを思いたいだけなのだと思う。
この場合、彼らが僕の職業として希望しているのは「主夫」ということになる。
自分と比較してどうなのか。
こいつが僕より上なわけがない。労働もして家事も育児もなんてどうせできるわけがない。
この人は主夫だ!そうだそうに違いない!
この話に限らず
人の評価というのは「偏見」だと私は思っている。
アインシュタインは
“常識とは18歳になるまでに集めた偏見のコレクションである”と言ったらしい。
世間の評価というのも偏見である。
その人がいかにして過ごしているか。今までどんな事をしてきたか。なんて知る由もないからだ。
そこに興味が無いと言ってもいい。
評価とは偏見であり
偏見とはその人がこうあって欲しいと願う希望の事かもしれないな。
まー、そんな偏見に振り回されるのがこえーな。と思ったわけですよ。
友人の評価や周りの評価を気にしても意味が無いというかね。
「評価」っていうのは「そう思いたい」というだけの話なんですから。
それに振り回されるのは馬鹿馬鹿しー、ですよ。